ミュージカル『刀剣乱舞~幕末天狼傳~』感想

トライアル、阿津賀志山未見。ステのみ鑑賞済み。

 

選ばれなかった人と刀が、自分の意志で何かを選び取るまでのはなし。

 

登場キャラは刀剣男士6人プラス新撰組3人。

新撰組3人は歴史物におけるオーソドックスなキャラクターづけなので分かりやすいです。

ストーリーはかなりシンプルで進行はゆっくりめ。

メインの軸は加州と安定、長曽祢と蜂須賀の二組の歩みより、精神面での成長。つまりは人間ドラマです。刀なのに。

 

全体の感想、キャラ感想、あらすじの順になっています。

 

全体の感想

1部の歌はストーリーの流れから歌詞が推測できるのですが、アイドルパートな2部は聞き取れない曲が多かったです。予習必須ということでしょうか。

歌唱力に関してですが、キャストによって差があります。

始まってすぐのころは喉の調子が整っていないのか、途中で力尽きて語尾が消えていたり。歌の難易度はキャストのスキルに合わせて調整しているようですが、タイトルに「ミュージカル」とつけているのでもう少し頑張ってほしいです。

殺陣は何度かタイミングが合っていないシーンがあったように見えました。

歌にダンスに加えて殺陣だと大変でしょうし、あんまりチャンバラっぽいのではなく歌舞伎の立ち回りみたいにしてしまうのも面白いと思うんですが。

 

宴のシーンはアドリブ多めだと思いますが、キャストの素が出ないところが良いですね。カテコでもキャストはキャラクターとして挨拶していて、俳優のことを知らずに「普段とは違うきれいなおべべを着たキャラ」が見たい層にも優しいです。

冒頭とラストで時間遡行軍も飛び跳ねたり踊ったりしているのがすごく可愛いので、個人的には時間遡行軍パートが見たいです。

 

 

劇中で繰り返し出てくる単語、「選ばれなかった」と「天狼星」について。

 

「選ばれぬ者」では刀剣男士たちが「自分は選ばれなかった」と歌います。

安定は池田屋事件で沖田が使用したのは加州清光で、自分は選ばれなかった。肝心な時に沖田を守れなかった。→のちに加州を佩刀していった理由は「たまたま!」と納得する。

和泉守は土方に最期まで着いていけなかった。

蜂須賀はずっと飾られていたイコール自分は武器として選ばれなかった。(新撰組刀が戦った刀であることに対して)→自分がいかに大切にされていたかは理解しており、飾られる刀として選ばれていたことを誇りに思う。

「自分は肝心な時に選ばれなかった、刀は選ばれることを選べない」という気持ちが澱のように心にあることが明示されます。

そして続けて、新撰組も時代に選ばれず死んでいった人間たちであったとうたわれます。「新たに選ばれた者」なのに時代に選ばれなかった新撰組

そして、安定が提案した「自分が新撰組に潜入して沖田を守る」は歴史を変えるおそれもあり、刀剣男士としては完全に欠陥品な希望です。池田屋回想で「元主と鉢合わせしないように」と注意していたのはなんだったんだ?と言いたくなります。

しかし、上記の流れからの安定の「刀剣男士として顕現したいま、人間の肉体を得て意思をもって動く自分は選ぶことができる!」という言葉があると、観客は安定の心情に寄り添えます。

個人的には、ステで不動が単独行動をとったのが唐突すぎて「ストーリーに合わせてキャラクターを動かしている」ように見えたのが不満の一つだったので、

キャラクターの行動に説得力を持たせる構成で良かったです。

 

 

天狼星はおおいぬ座シリウスの中国名です。

新撰組が「壬生の狼」とあだ名されていたことがピックアップされた理由ですね。

ところで、日本でシリウスの伴星(シリウスB)が発見されたのは1862(文久二年)、 坂下門外の変が起こり、将軍・徳川家茂の上洛に際して警護の名目で浪士が募集された年です(浪士組→新撰組の結成は翌年)。なお近藤が斬首されるのは1868年。

 

終盤の近藤が土方へ「天狼星(シリウス)は二つで一つ」と語り掛けるシーンでは

加州と安定、長曽祢と蜂須賀、和泉守と堀川のそれぞれのコンビを指しているのでしょう。

ところで、天文には詳しくないのでシリウス冬の大三角なのに池田屋事件(7月)の夜、近藤勇が処刑ごろ(5月)の夕暮れ?には観測できるの?と不思議に思って調べてみました。

http://spaceinfo.jaxa.jp/ja/canis_major01.html

日本で観測できる時期:10月~3月の約6ヵ月間

見ごろの季節:冬(2月下旬に20時正中)

上記以外の時期では日中に見られるのですが、見つけるのは訓練がいるはずです。

 

 

キャラ感想

 

加州清光

笑顔がステキ。

個人的には加州のキャラ解釈がすごく好みでした。主に愛されてる自信があって興味ないことにはちょっとドライ。声のトーンが落ちるタイミングなど。

前作の阿津賀志山の経験があるということで、初めて隊長を務める蜂須賀を気遣ったり安定の気持ちに配慮したりとかなり大人な対応が見受けられます。

 

安定

このメンタル不安定が安定するまでが幕末天狼傳の前半のメインです。

驚いたときに手が丸まって外側に反るとか、動作が全体的に女子っぽい。

沖田総司の佩刀であったことを理由に顕現しているので、安定が沖田に執着するのは当然ですよね(他の新撰組刀にも言えますが)

最終的には、歴史を変えて沖田を生きながらえさせることは沖田自身を否定することだと気づきますし、加州が自分を池田屋へ行かせたがらなかったことは自分を気遣ってのことだったと理解します。

沖田に「沖田くん、ありがとう。君のおかげであいつ(加州)と会えた」

 

加州と安定の沖田に対する姿勢の違いとしては、

加州は池田屋に行った加州は沖田が新撰組がこれから大きくなって行けるかもしれない、というところで喀血し残りの寿命を自覚するという人間の儚さを間近で見ている点が大きいのかなぁと思います。

安定は沖田に対しては親を慕う幼い子のような感情で、無意識のうちに神聖視していたのではないかと思います。新撰組に潜入して初めて「自分の主の沖田総司」ではなく「一人の人間の沖田総司」を見たのではないでしょうか。

「君が長生きしてたら、新選組は負ける事も無くて銃や大砲の時代が来ることもなく刀の時代が続いたんじゃないかって思ったんだ…」という独白が非常に切なかったですね。

 

加州・安定の二人の剣筋が沖田似というのは作中でも言われているのですが、沖田の話し声は明るい調子で刀を振るうときの掛け声は低い声というのが安定っぽいですよね。

 

 

長曽祢虎徹

清麿についてはなにも触れられなかったのが残念。

冒頭から加州・安定に両側から稽古をつけて~とせがまれるハーレムを見せつけてきます。

新撰組刀の兄貴分として振る舞っているものの内面はたぶんちょっと繊細。新撰組刀には兄と慕われるからこそ不安を吐露することができないのでしょうか。

ラストで蜂須賀が「兄と認めたわけじゃない」と言ったのは、「だから自分に頼ってもいいんだ」という事でしょうか穿って考えすぎでしょうか。

 

蜂須賀

武具が動きにくいのか、お坊ちゃん感を出すためか、殺陣がなんとなくふわっとしてる…?ダンスでもあまり動きは激しくはないです。

正直なところ、蜂須賀のキャラ解釈がいいという評判がミュ鑑賞に踏み切った決め手です。

自分の欠点や足りないところを指摘されたら真摯に受け入れることができる素直さがあります。階段に座っているときにつねに両手を片膝にそろえていて背筋が伸びているのがかわいかったです。ただ長曽祢に対してだけやたらと当たりが強い。でも二人称は「あなた」で三人称は「彼」。礼儀正しい…。

自分とは違う「働く刀」であった新撰組刀、そして彼らの「元主への強い想い」に戸惑いながらも理解しようとする姿勢を持っています。

公式のキャラ紹介の「本心では兄の実力や無骨さに惹かれている一面も」が根底にある性格設定だと思います。雑誌の「長曽祢は蜂須賀に実の兄としてふるまっていた時期がある」が原因で長曽祢にきつく当たっているのでしょうか。

 

堀川国広

動きがキレキレで一人だけ違う振り付けかな?と思うような箇所もちらほら。

殺陣は蹴り技を混ぜた軽快な動き。小柄な脇差の特性を活かした小回りの利く戦い方をするのかと思わせておいて、終盤では「僕も結構邪道でね!」と言いながら敵の首の骨を折る荒業も見せます。

歌唱力が一番安定していて、歌の盛り上がるところや聞かせどころはだいたい堀川です。

蜂須賀に新撰組について尋ねられ、「最後まで刀にこだわってくれたから、やっぱりどうしても好きになっちゃうんですよね、あの人たちのこと」と答えるのが印象的。

作中で土方の死に触れていないので、主との関係はそこまで描かれず、堀川・和泉守は前述2組のサポート役のような扱いです。

蜂須賀との関係に悩む長曽祢に声をかけたのは「自分も真贋不明の刀だから」ということかなぁと推測。

勝手に「兼さんのキラキラした何か」を質に入れて高いお酒を用意しちゃうあたり、扱い方を心得ていて掌で転がしていますね。

 

和泉守兼定

歩き方がドヤドヤしているところ、声も原作声優に似ているかんじが良いですね。ぜひログボ言ってほしかったです。

内番をいやがっていたり弟キャラと見せかけて、迷う蜂須賀を導く大人びた面も持っています。「刀の見た目が良くて悪いことはない。それに加えて実用的なら美点がひとつ増えるだけ」という言葉は非常に気持ちいいです。

「兄が弟を守るのは当たり前だ」という発言は歌仙関係かと思ったのですが、最後まで見ると近藤が土方に言った言葉が元になっているのでしょうか。

 

 

 

あらすじ

 

池田屋への討ち入りのシーン。

戦闘中に吐血する沖田。

背後には黒猫の影の映像が投影されます。沖田の死に関連する黒猫なので単純に死の暗示かとおもっていたのですが、後半まで見て歴史修正への誘惑の象徴だと気付きました。

たしか阿津賀志も元主が歴史修正に走るという筋書きだったんですよね。

 

第一部隊は加州に代わって蜂須賀を隊長とし、隊員に新撰組刀を編成して幕末への出陣を命じられます。

到着した先は新撰組が結成される前の試衛館時代の多摩。出稽古帰りの近藤、土方、沖田をが登場。

冒頭の黒猫にはじまり、ここでは周斎先生や石田散薬など、新撰組を知っている人にはわかるけど知らない人には分からない単語が説明なしに会話に登場します。ここで3人はちょっと長めの独特な木刀を持っているのですが、これは天然理心流では普段から重くて長い木刀で稽古していたからですよね。

土方「石田散薬は万能薬だぞ!」沖田「土方さんはずっと飲んでるのに、口が悪いのは治ってない!」近藤「これは一本とられたな~」というやり取りなど、気の置けない仲間であることが分かります。

病に冒される前の元気な沖田を見て心を乱した安定は、新撰組隊士として潜入したいと申し出ます。

清光は反対し、安定は走り去ってしまいます。清光の本心は池田屋で喀血し倒れる沖田を見た経験から「あんな気持ちを安定には味わわせたくない」というものでした。

最終的に、蜂須賀は安定が新撰組に潜入しても目立たなければ歴史に影響を与えることはないから問題はない、と潜入捜査の許可を出します。

これに関しては、隊士名簿とか明治以降に書かれた回顧録とかかなり現存しているけど…?と釈然としない気持ち。

 

名前を偽って新撰組に潜入した安定は池田屋へ突入。この時点で歴史に名前は残りますね。

吐血して倒れる沖田を前に、結核の薬を沖田に与えるか悩む安定だったが、歴史を変えて寿命を長らえさせるということは沖田を否定することだと理解し、気持ちを押しとどめます。

忍び寄る黒猫の影が打ち砕かれ、安定が歴史修正の誘惑を断ち切ったことが示されます。

到着した第一部隊の面々の助けで歴史修正主義者を撃退し、無事に歴史がゆがめられることなく池田屋事件は終了。

しかし物語はまだ続きます。超長期遠征レベルですね。

 

病が進行した沖田は千駄ヶ谷で療養中。そこに賊軍と呼ばれるようになった近藤と土方が見舞いに訪れわずかな時間語らいます。

病によって二人と行動をともにすることはできない沖田ですが、二人の「武士になりたい」という夢をかなえる手伝いができたことに満足しています。

 

流山で近藤が新撰組から離脱するシーン。

土方に「天狼星(シリウス)のそばには小さな星がついている」と語りかけ、肩を抱く近藤。二人三脚で多摩の農民から武士になった二人でしたが、ここで道は分かれることとなります。

近藤の投降する決意が固いことを知った土方は「またな」と言い反対側へ走り去ります。

このシーンの土方は洋装なのですが、衣装替えの時間の関係か総髪のままなのがちょっと笑ってしまいます。

史実通り、近藤は斬首されることになります。

 

一方、沖田のもとには謎の黒猫が現れて近藤が処刑されることを告げます。

死期が迫り身体も思うように動かない沖田ですが、人語を喋る怪しい黒猫を斬ろうと病に疲弊した身体で刀を抜きます。

しかし「近藤を助けることができる」という誘惑に負けた(?)のか沖田の刀は赤くなり、背後に菊の紋が映し出されます。やはり菊一文字でしょうか?花弁の数は数えきれませんでした。

こういう扱いをされたので、沖田総司の菊一文字の実装はなしということでしょうね。

 

処刑場で目隠しまでされた近藤。そこに刀を持った沖田が登場して刑吏を斬り殺し、近藤に逃げるように促します。

沖田は立ち上がって戦う力は与えられたようですがフラフラです。歴史修正主義者のアフターサービスはあまり良くない模様。

沖田は刀剣男士たちにも斬りかかったものの、近藤に抱き留められ諭されたことで正気を取り戻して崩れ落ちます。加州・安定に抱えられて退場。

 

近藤は新撰組を脱退したはずの安定がいることに気づいて訳ありだと察知。長曽祢を見てどこかで会ったことがあるような気がする、と言い、予定通り自分の刑を執行してくれと頼みます。

承諾した長曽祢は「なぜ戦うのをやめたのか」と質問します。近藤は「新撰組が戦ってきたのは後の世のためだ」と答え、自身の思う所を述べます。

近藤の首を落とそうとする長曽祢を止めたのは蜂須賀。代わりに近藤の首を落とします。おそらく蜂須賀は初めて人を斬ったことになります。

 

本丸に戻った刀剣男士は日常に戻ります。

序盤で長曽祢は蜂須賀との手合せでは全力を出し切っていませんでしたが、今回は自分から手合せを願い出ます。

蜂須賀も「勘違いしないでほしい、あなたを兄と認めたわけではない」と言いますが、二人の間にあった空気は柔らかいものになっています。

「兄として認めないけど一振りの刀として実力を認めている」ということだと思うのですが、「虎徹」としてこの和解でよかったのかは人によるのではないでしょうか…。

わたしが蜂須賀を育成し始めたのが長曽祢・浦島実装時からなので初期から育てている人の感想とは異なるかと思いますが、今回は刀工についての掘り下げはなかったので個人的には良い妥協点だとは思います。

幕末天狼傳では浦島は登場しませんでしたが、いずれこの本丸に顕現した時は二人の兄の事であまり気を揉まずに済めばいいなぁと思います。

 

 

そういえば、和泉守が「差し向かう 心は清き 水鏡」と言うのですが、

沖田の辞世の句で返歌説がある「動かねば 闇にへだつや 花と水」は登場しませんでした。

真偽が定かではないこの句を出すと紛糾するからでしょう。

明治座「SAKURA-JAPAN IN THE BOX-」感想


わたしが観劇した日は客席はおおむね埋まっており、日本人とインバウンドは6:4くらいでした。
日本人の年齢層は高め(ふだんから明治座に来ている方だと思います)。インバウンドの年齢は分かりにくいですが、若い方はあまりいませんでした。

観劇中にスマホアプリを連動させて楽しめる試みが面白いです。
開演前にアプリをダウンロードして指示に従って起動すれば、キャラクターのや解説・歌詞が表示されるほかシャッターチャンスをバイブレーションで知らせたり舞台をカメラで写せば桜の花びらがオーバーレイする仕組みです。
なおカメラ機能がありますが、画質は悪くズームはできません。座席と照明の角度の相性によっては衣装の反射で何も映らないことがあります。


出演者はみな若い女性のようで、きらきらしている姿を見るとさわやかな気持ちになるのですが、
内容は薄く、また、パフォーマンスも満足いくレベルではありません。

外国人から見るとストーリー性のなさとアニメ映像が相まって「幼稚」という印象が残ってしまうのでは。

チラシの監督?インタビューで「ふつうの『和』とは違ったことをやりたい」といったようなコメントがあったと思うのですが、
無駄に日本文化から逸脱させてフラフープやリボンを使った演技を入れる必要はあったのでしょうか。
和太鼓や琴などの生演奏は良かったと思いますが、
海外でも見れるものでインバウンドを満足させるのであれば、ずば抜けた技量や見せ方が必要だと思います。

年配の方でこういったパフォーマンスを鑑賞する方はすでに完成度の高いプロの演技を見慣れていると思いますし、
ミニスカ着物などではなく、普通の日本文化を新しく楽しめる伝統と技術のコンビネーションのほうが需要にあっているのでは。
アニメ好きの若い方からすればアニメ映像やコスプレの出来は満足いくものではないでしょう。
なにより、アニメ映像もコスプレもストーリー上必要があるとは思えません。

オープニングは制服を着た女子高生、渋谷のスクランブル交差点、秋葉原、無機質で雑然とした都市…という外国人がイメージする日本を詰め込んだものです。
明治座のとなりの稲荷社からストーリーが始まるのも観客を引き込む効果があると思います。

「日本の四季」と言いますが、海外にも四季はあるわけですし、もっと日本独自の景色を入れても良かったのではないでしょうか。
美しい日本庭園とかだけではなく、夏の暑さのなかコンクリートジャングルを歩くスーツ姿のサラリーマンなども日本的な映像だと思います。

夏の国の精霊CHOCOの名前、「CHOCO」としか言葉を発しない点も設定が良く分からずついていけませんでした。
風鈴を模したスカートなどは日本の夏を表していて好きなのですが

能面を3枚重ねて着用し、徐々に外して両手で持ち、さらにその能面が暗い中で発光するというのは意表を突かれ、個人的にはとても刺激的でした。
ただ、序盤で登場した歌舞伎の連獅子と扱いがあまりにも違いすぎて、悲しい気持ちもあります。
ジブリ映画「千と千尋の神隠しカオナシを意識しているのでしょうか。

 

インバウンド向けの夜のエンターテインメントとして、アニメと伝統芸能が融合した、明治座日本橋から世界に向けて発信するミュージカル・ファンタジー…という触れ込みにしては、なにもかもが中途半端だったように感じます。

「マーダー・バラッド」感想

「マーダー・バラッド」 2016/11/22@銀河劇場

 

いい夫婦の日に観劇してきました。

NYのバーを模した舞台の上に現れるのは4人の男女。
女ナレーターがこれから殺人が起こると歌い上げ、女1人と男2人の三角関係をメインにストーリーは進みます。

ステージ奥のバンドの生演奏の迫力と4人の歌声のパワーがすごいです。
歌詞は日本語と英語が入り混ったもので、 言葉が頭にスムーズに入ってこない部分が若干ありました。

キャストは回るテーブルの上からバーカウンターの上へと飛び移ったり、ひっきりなしに動いています。
舞台奥にはバンド用のスペース、舞台両脇はステージシートが2列ずつあるので、ステージ上を所狭しと暴れまわっているような雰囲気。

タイトルでミステリー要素があると思い込んでいたので、肩透かしをくらった気分ではあります。 全体で語られるのは、ほぼ三角関係の話です。
 冒頭から殺人事件が起こることを示しており、ストーリーはサラ、元彼のトム、トムと別れた後に出会い結婚したマイケルの三角関係を描いています。
ナレーターは説明を加えたりするのが主な役割ですが、時々ストーリーに介入するような動き・歌があり、観客におや?と思わせることも。
結局、ナレーターは実はトムの勤めるバーの主人で関係を持っており、マイケルとサラの襲撃から一命をとりとめたトムに「遊びだ」と言われ逆上してバットで殴り殺す…。


最後で「未解決殺人」と言われたのはなんとなく釈然としないですが…。






原案・脚本・作詞:ジュリア・ジョーダン
音楽・作詞:ジュリアナ・ナッシュ
訳詞・上演台本:森雪之丞
日本版演出:上村聡史
音楽監督:島健
出演:中川晃教平野綾橋本さとし、濱田めぐみ

映画「君の名は。」感想

細かいことを考えたら負けです。
つまり映画館のスクリーンでリアルな街の風景描写とそれと対照的な幻想的な風景に圧倒されながら見るするしかありません。

ずっと描かれてきた糸守の風景が廃墟になって目の前に広がるすさまじい絶望感、そこからの犠牲者名簿でてっしー・さよちん・三葉の名前を見つける…という流れはよくできていると思います。

個人的には組紐の描写が好きで、あとは岩石信仰なのが好感度高いです。
カルデラと巨岩という組み合わせでモデルは阿蘇の押戸石かなと思ったのですが、諏訪湖説が有力のようですね。


200年前に存在した繭五郎とはいったい誰なのか、なぜ火事を起こしたのか。
糸と関係が強い「繭」に、一葉・二葉・三葉・四葉に連なる「五」
繭五郎は草履屋とのことなので、名前に繭がつくのは理由があると思いますし。
「火事ですべての記録が焼失」は瀧が真実を知った瞬間に三葉の残した文字(データ)が消えたのと似ていると思うので、
繭五郎は入れ替わりを体験しそれを文字に残して後世に伝えようとしたところ、人知を超えた力で書物を焼失させられ延焼したのでは。
四葉が入れ替わる人物が繭五郎か、その繭五郎の大火以降に「口噛みざけ」「組紐」「巫女舞」を残そうと奮闘した人物になるのでしょうか。

ところで、意味は失われたものの形が残っている伝統として登場する「口噛みざけ」「組紐」「巫女舞」、
作中で「口噛みざけ」「組紐」は重要な役割を果たしますが、「巫女舞」はなんだったのでしょう。

ご神体のある場所、カルデラではないだろうしおそらく2400年前に隕石落下でできたクレーターだと思います。
ご神体は移動して今の場所にあるんですよね。記録に残っていない隕石落下時に活躍した人物の石室の一部でしょうか。


作中ではあくまでもメインは瀧と三葉のボーイミーツガールであり、説明が省かれている部分がかなりあります。
明かされなくても想像をめぐらせて楽しめるのが上記。
次からは見ていてもやっとした点を挙げます。

①入れ替わりに対する周囲の反応がゆるい。
自分の名前が分からない状態に陥った生徒を病院なりカウンセリングに連れて行かない学校はないと思うのですが。特に都会の学校ほどメンタルヘルスには気を使っているはずです。
友人も「かわいい…」とか言ってる場合ではないはずです。
②瀧と三葉はお互い電話番号を押してているにも関わらず、まったく連絡を取り合わなかった理由は?
お互いの生活について決めた規則がメモのやり取りだけなのはさすがに不便ですし、電話番号を知っているなら電話なりメッセージなり直接やりとりするのが自然だと思います。
瀧が糸守の壊滅を知った瞬間に三葉の日記データが消える理由は?
さすがにタイミングよすぎて。
「存在しないもの」を人知を超えた力が破壊していくなら、糸守町が守られるという歴史改変も許されないはず。
もしくは糸守が隕石で消滅するという未来が、そもそも修正されるべき間違った歴史なのでしょうか。
これは劇的すぎて興ざめでした。
④一度目に瀧IN三葉がご神体を訪れたとき、瀧が糸守消滅後にご神体を訪れたとき、いずれも半身を置いて行っていないけど大丈夫?

半身~はただの言い伝えでだったのかもしれませんが…。

1回目は一葉の看破により強制送還されたのでノーカウント?2回目は口噛み酒(三葉の半身)を取り込んでいたので1.5人分になっていたりする…?
⑤三葉はどうやって父を説得し村民を避難させたのか
冒頭から父との不和が度々描かれる三葉にとっては、ここでどうやり取りするかはかなり重要です。
直前に瀧IN三葉に「妄言は宮水の血か」と吐き捨てているレベルです。
瀧の家庭の描写もほぼ省かれおり、ここでは家族の関係よりもボーイミーツガールに焦点を当てていることのあらわれだと思いますが、やっぱり釈然としません。
⑥三葉はなぜ瀧に恋愛感情を抱いたのか
瀧から三葉への恋愛感情は理解できるのですが、三葉が瀧を好きになるかは首をかしげてしまいます。
入れ替わっているだけでお互いの言動を知ることができないにもかかわらず恋愛感情を抱くというのは特に不思議ではありません。
(思春期の男女で恋人もいたことがないということだったので、美少年・美少女に外見だけで惹かれたり、秘密の共有で特別な感情を持つことは十分あると思います。)
しかし、父が町内の有名人であり常に周囲から見られている三葉にとっては瀧の言動は非常に迷惑なものだったと思いますし、
瀧がひそかに自分の胸を揉んでいることを知っても恋愛感情を抱くでしょうか。
「東京への憧れ」でかなり下駄をはいた結果の好意ということで納得していますが。

 


ラストでようやく二人は出会いますが、5年も虚無を抱えたまま生きた二人の人生を考えるとあまりハッピーエンドには感じられませんでした。
瀧は就活でも糸守の影を追っている節がありますし、人生の大切な時期を犠牲にしているのは確かです。
結局「探していた人を見つけた」ことは確かですが、記憶は戻らないようなので、 この二人はどうやっても胸に開いた穴を埋めることはできないのだろうと思うとなんだか悲しいですね。

映画「シン・ゴジラ」感想

ゴジラシリーズをまともに見たことがない・特撮興味なし・文系が今更シン・ゴジラを見てきました。

映画館で時々シン・ゴジラの予告を目にしていたのですが、
ぎこちない動きで動くゴジラだけが印象に残っていたため、特撮博物館みたいなジオラマにキグルミの古き良き特撮に立ち返る企画なのかと思っていました。
正直、自分向けではないだろうと思い見るつもりはなかったのですが、野村萬斎ゴジラに惹かれて映画館に行ってしまいました。

圧倒的なスピード感でとても面白かったです。
見慣れた風景が破壊され、名もなき一般市民が逃げ惑うシーンは観客に没入感を与えますし、あくまでも現存する武器だけで立ち向かうというのもリアルです。
だからこそ、非現実的な存在であるゴジラが際立って見えます。
ここまでリアリティを追求されると、「日本人がゴジラを知らない」という設定にすごい違和感を感じてしまうのですが、これはお約束なので仕方ないですよね。

もともとゴジラは社会問題になっていたビキニ環礁の核実験に着想を得て製作したもので、日本で制作されたゴジラシリーズはどこかで人間の発展の功罪を問うシーンがあったように思っていたのですが、
シン・ゴジラにおけるゴジラは完全に殺処分されるべき害獣扱いです。

アメノハバキリ第一建機小隊を「アラハバキだと勘違いしていたんですが、
ヤシオリにアメノハバキリということで、完全に「ゴジラ=ヤマタノオロチ」なんですね。
ラストシーンでゴジラのしっぽに浮かび上がっていたヒトガタは、無性繁殖可能なゴジラが次に目覚めるときは人間に近い形に進化した子孫を生み出すということだと思っていたのですが、
ゴジラ=ヤマタノオロチ」なら、あのヒトガタはアメノムラクモということでしょうか。
ヤマタノオロチを退治してその尾からアメノムラクモを手に入れることが「出雲の製鉄技術を持つ民を制圧し新たな武器を手に入れた」の暗喩であるという説から考えると、
あのヒトガタは新兵器ということになるのでは…と考えたのですが、それってつまり巨神兵で『巨神兵東京に現わる』になってしまいますね。
 庵野お得意の意味深なシーンで視聴者に深読みさせるパターンだとは分かっているのですが、やはり気になります。

登場人物におバカキャラがいないのが非常にストレスフリーでした。

「えぇ~?どういうことですかぁ~?」と言って解説台詞を挟ませてテンポを悪くさせるキャラクターがあまり好きではないので。
また、恋愛要素・家族ネタのお涙ちょうだいがないので、サクサク進んでよかったです。


全編を通して日本人特有の習慣や考え方が根底に流れており、海外でウケることは度外視しているのかなぁと思いました。
延々続く会議、現場→上長→上長→トップに支持を仰ぐ体制、核への忌避感、 目的語なしの指示に対して「それ、誰に言ったんですか?」という自分が責任を負いたくない姿勢は笑うところですよね。
被害現場の描写や避難する人々の様子は震災を意識しているのだろうと思います。

ゴジラ鎮圧で手放しに喜べない、ハッピーエンドではないことも、復興に向けてまだ歩き続けなければいけないことがあると思います・
ただ、ビルドアンドスクラップ~と言われても、あまりにも大きな震災を経験した身にはあまり響かなかったですね…。

博多座十一月花形歌舞伎『石川五右衛門』感想

テレビドラマとのメディアミックス歌舞伎。


感想を一言で言うと、ストーリーがうすい…
ドラマを見ていることが前提のようなので、もしかしたら自分が1話しか見ていないせいで楽しめなかったのでしょうか。それとも前回の五右衛門から話がつながっている?

ただ、衣装や造り物は派手ですし、博多座の舞台をフル活用した場面転換も見ていて楽しいです。
宙乗り、ぶっ返り、石川五右衛門つながりであろう舞踊の三升曲輪傘売(コンパクト版?)、舞台丸ごと早替わりなどなど、観客の目を楽しませる工夫が目白押しです。

手下3人のコミカルな演技も笑いをさそいます。

ところで「石川五右衛門と言えばつづら抜け~」という台詞がありますがつづら抜けはなかったですね。

 博多にわか柄の羽織や一蘭ラーメン、いわいめでた、博多織の帯など、ご当地ネタも満載。
わたしが観劇した日は歌舞伎をあまり見たことがないお客さんが多かったようで、各所で歓声が上がっていました。
ノリとしては歌舞伎初心者への掴みを重視したスーパー歌舞伎ワンピースに近いように感じます。

イヤホンガイドは借りた方がいいです。
開幕前の説明を聞いて、立川文庫霧隠才蔵石川五右衛門が伊賀で兄弟弟子として忍法の修行をした設定の話があることなどを知りました。
あとは説明セリフが少なめで、イヤホンガイドの解説で何が起こっているのか理解することが何度かありました。
巻物が奪われたり奪い返したりのくだり、巻物が小さくて地味な色なので全然見えなくて、わざとらしくても「あぁっ!巻物が!!」みたいに言ってくれないと。
 舞台転換の間に完全に沈黙になることが何度かあったので、できればその間に幕に投影したりとかで補足説明してくれたらもっとストーリーにのめりこめたかもしれないですね。

五右衛門は秀吉の子設定がは特に活かされるわけでもなく、突然始まる龍退治、特別な力が発揮されなかった宝剣、掘り下げがなかったため急に改心したように見える悪役、なぜかねぶた(にぎやかでいいとは思いますが)。
話のスケールが大きいわりに上演時間が短いのが原因だと思いますが、キーアイテムや悪役にもっと魅力があったほうがわくわくできるのにと思いました。

ねぶたについては下記サイトに載っていました。
でもこれねぶたのインパクトを味わうためには知らないほうが良いのでは…
http://www.hakataza.co.jp/news/detail.php?id=446
「昨年、青森ねぶた祭で、私の三升景清をモデルとするねぶたが登場しまして、そのねぶたを舞台に出せないものかと考えたところ『石川五右衛門』だ!ということになりました。」


1階S列の端だからかもしれませんが、声が全然聞こえず…。
海老蔵がかなり声が出ておらず、掠れ気味で…。張りのある声の印象が強かったので、調子が良くなかったのでしょうか。



「muro式9.5 答え」感想

2016/9/21 大濠公園能楽堂

 

 

能楽堂での一人芝居と聞いて興味を持って、初muro式。

全体を通して一番驚いたのはプロジェクションマッピングでした。

鏡板の松にぴったり投影されていました。各地の能楽堂の鏡板に合わせて変更しているとのこと。

橋掛かりに人型の光が投影されるところも、橋掛かりの長さも違うと思うので調整しているんだろうなぁと思いました。

 

また、能舞台の特色である舞台のかたちも考慮してあるのか、客席三方に向きを変えて同じセリフを三回繰り返すこともあり。

 

1幕

揚幕があがり、ライトアップとピアノの音に合わせてからゆっくり橋掛かりを進む…という落ち着いた雰囲気から一転、滑舌の悪い米山盛男というキャラクターが大声でしゃべりだします。

正直者だということだけを武器に選挙活動をしている人物で、自分が少年院に入っていたことも包み隠さずしゃべります。

 

2幕

幻想的な鏡板へのプロジェクションマッピング

一休さんが橋掛かりの壁に映る人型(新衛門さん、かよちゃん)とやりとりをしながらとんちを考えていきます。

 

3幕

能舞台にてるてる坊主が現れ、いつのまにか体育座りをした頭身大の人形が登場。

やって来た牢屋の看守がてるてる坊主に話しかけます。

このてるてる坊主は第一幕の米山盛男。冒頭で語られた少年院時代だとわかります。会話のなかで2幕の一休さんについて触れたり。

てるてる坊主は突然ぶるぶる震えたり動いたりしたので、客席からは少し悲鳴が聞こえました。

夜の場面なので、鏡板には絶妙な溶け込み方で月が映っていました。

 

4幕

「あなたが落としたのは金の斧ですか?」と尋ねる神様。

能舞台だからか、赤頭意識みたいでした。

サラリーマンのように上下関係や規則に縛られた神様と、斧を落とした米山盛男。

神様は規則に則ってスムーズに物事を進めるためには嘘も方便と言いますが、正直者の米山は聞き入れず…。

 

5幕

衣装とメイクも左半身と右半身で別々のムロツヨシが登場。半身は米山、もう半身は記者。

5幕まで積み重ねられた米山の正直エピソードで観客は彼が本当のことしか言っていないことが分かるのですが、記者には信じてもらえません。

本当のことを言ってなぜいけないのか、ということがメインテーマ。

 

そのあとトークがかなり長く、とても面白かったです。