ゲキシネ「朧の森に棲む鬼 Lord of the Lies」感想

 

自分の欲望のために他人を騙し傷つける男の栄光と転落。

 

歴史好きには登場人物の名前からストーリーや役割を推測する楽しみもありますね。

 

ライは源頼光(マダレが「ライ公」と呼ぶのは意識してるとおもう)

キンタは坂田金時、ツナは渡辺綱、サダミツは碓井貞光、ウラベは卜部季武頼光四天王

ヤスマサ将軍も源頼光の家臣の藤原保昌がモデル。和泉式部と婚姻関係にあり、酒呑童子退治に同行したとされます。

シキブは和泉式部でしょうか。

マダレは盗賊の袴垂だと思います。

シュテンは酒呑童子、バラキは渡辺綱と因縁深い茨木童子。オオエ国なので大江山説を取っているのでしょう。

荒童子は碓井貞光の幼名説がありますね。

 

三人の人ならざる者との契約はシェイクスピアリア王』的ですね。

インタビューによるとシェイクスピアの『リチャード三世』と手塚治虫の『どろろ』の父親が下敷きにあるとのこと。

 

白いお面に打杖を持った「朧」。

造形はもののけ姫のコダマ的な森の妖精かと思っていたのですが、ラストのライの頭蓋骨が朧に似ていたので、この森との取引に負けた人間のなれの果てが朧だったりするのでしょうか。

 

 

序盤から伏線がはられていてとても楽しいですね。

朧との契約の言葉はライの死に直接つながりますし、

ストーリー上大きな役割を果たす「血人形の契り」を交わす場面、赤い照明があたるのはシュテンとキンタなんですよね。

 

 

自分の地位の向上と気に入った女を手に入れたことにより徐々に気が大きくなるライ。

特にマダレに対する部分では自分をあまり繕わず、キンタを見捨てる場面でマダレに本性を見せたことは大きな不信感を生み敗因のひとつになっていきます。

ライがマダレに言った「悪党が情に流されたら終わり」というのがそのまま返ってくること、入れ墨を入れろといったことで離反される結果となる…など、マダレをもっと誤魔化していればうまくいったのかもしれません。

 

もう一人、ライの破滅を決定づけるのがキンタ。

ツナを暴漢に襲わせたあと、「俺の嘘を本当に見せているのはキンタだ」というやりとりがありましたが、その重要なキンタを切り捨ててしまいます。

 

ラストに向かっては若干ご都合主義感もありますが、大がかりな演出もあり目が離せません。

 

朧の森に火を放ったことで「自分の力の根源を殺す」=「自分を殺す」になるのかと思っていました。

 

結論から言うと、

「ライ自身が生かしたキンタ」が切り札かと思わせておいて、「自分の舌(剣)に殺される」というのがラスト。

 

分かりやすすぎず分かり肉過ぎずの適度な伏線がてんこもりで、見ていてどんどんひきこまれました。

シキブを殺すシーンも、あっこれは~~~と思いながら見ていました。

 

 

 

監督:江戸洋史

制作協力:劇団☆新感線、ヴィレッヂ

作:中島かずき

演出:いのうえひでのり

ライ(エイアン国の王座を狙う男)/市川染五郎

キンタ(ライの弟分)/阿部サダヲ

ツナ(検非違使の長、四天王の一人ヤスマサの妻)/秋山菜津子

シュテン(オーエ国を治めるシュテン党党首)/真木よう子

シキブ(国王の愛人)/高田聖子

ウラベ(四天王の一人)/粟根まこと

サダミツ(四天王の一人)/小須田康人

イチノオオキミ(エイアン国国王)/田山涼成

マダレ(暗黒街ラジョウのボス)/古田新太

<エイアン国・宮廷人>

  ショウゲン/河野まさと

 ダザイ/礒野慎吾

  インギン/武田浩二

  オクマ/中谷さとみ

 アラドウジ/川原正嗣

  ヤスマサ(エイアン国将軍、四天王の一人)/横山一敏

<エイアン国・暗黒街ラジョウの民>

  フエ/山本カナコ

 ハ/前田悟

<オーエ国・シュテンの部下>

  バラキ/村木仁

  トラド/逆木圭一郎

  ホシド/吉田メタル

 カネド/保坂エマ

 

2016「エリザベート」感想

2016/8/23 夜の部

 

10年ぶりくらいのエリザベート。新演出は初めてです。

 

エリザベート 蘭乃はな

トート    城田 優

ルドルブ   古川雄大

ゾフィー   香寿たつき

ルキーニ 成河

 

 

今回のポスターちょっとださい…と思っていたのですが、

ラストで息子ルドルフの死から着続けた喪服を脱ぎ捨て、純白のドレスになるということなのですね。

 

結婚式の不吉な感じ、布を使った演出がとても好みです。

 

 

エリザベート

城田トートとかなり身長差があって可憐。

裏声でささやくように歌うのは宝塚の方っぽくない歌い方だな~と思いつつ、

晩年の旅行のシーンで逃げる様な動作だったのが印象的。

 

トート

山口雄一郎トートが「死の帝王」だとすると城田トートは「エリザベートその人の死の概念」という印象。

「微熱」のところでエリザベートが死にたい…といった瞬間にテンション上がるのが大型犬みたいで非常に可愛らしかったです。

死の化身という非現実的な存在にぴったりなトートダンサーから頭一つ抜ける長身と長い手足が素敵です。

まばたきが少なく、首を傾げたりというのも人外っぽさがありました。

 

 

 

 

「BENT」感想

2016/8/16@福岡市民会館

 

「BL」とか「エアーセックス」という単語で話題になっていましたが、そういったセンセーショナルな単語を刷り込まれて観ると印象が引きずられてしまって楽しさが半減してしまいますね。

人間の尊厳の物語です。

 

シンプルな舞台セットと洗練された演出で、ストーリーに引き込まれます。

BGMはほぼ無しでした。

虫の羽音や風の音、照明と背景で夏の暑さや厳しい冬の寒さなどが表現されます。

 

1幕ではマックスとルディが同棲する部屋、グレタの控え室、公園、森のキャンプ場、護送列車とセットが転換します。

観葉植物やソファーがある雑然とした部屋から、徐々に物がなくなって行くのが強制収容所へと近づいていく暗示なのでしょうか。

2幕では一度も変わらず、背景や照明で季節の移り変わりが表現されます。

いくつかの段差があるセットの上で、ラストまでほとんどマックスとホルストが二人だけで石運びを続けるだけです。

一見単調ですが、このセットの変化のなさや二人の会話だけで展開していくことで、二人の受ける石運びの拷問のつらさ、ホルストの衰弱、そして二人の精神的な歩み寄りが浮き彫りになります。

 

登場人物の流れるような、畳みかけるような会話が非常に心地よかったです。

それとは打って変わって静かで緊迫した空気のなか進むラストの場面。自分には死しか待ち受けていないと理解しているホルストがどう行動するのか、あれほど固唾をのんで見守ったことはないのではないかと思うほど。

そしてその後、マックスがどう行動するのか最後まで予測できませんでした。単純に電気柵に向かって終りかと思っていたので、いい意味で裏切られました。

 

マックスは「ルディと一緒にいるのは責任感からだ」と主張し、ホルストから愛を告白されても「自分は人を愛せない」と拒絶します。

しかし、最後にホルストの遺体を抱きながら、自分はルディを愛していたことやホルストへの想いを吐露します。

マックスはこれまで自分の本心を自覚しないようにしていただけで、これまで自分が本心から逃げていたのではないかと思います。

最終的に自殺を選んだのは、ここで「黄色い星」のまま生きながらえることを自分の心が許さなかったからではないかと思いました。

 

 

作:マーティン・シャーマン

翻訳:徐賀世子

演出:森新太郎

出演:佐々木蔵之介 北村有起哉 新納慎也 中島 歩

小柳 友 石井英明 三輪 学 駒井健介 / 藤木 孝

 

 

 

余談ですが、BENTを観た後、「ピンク・トライアングルの男たち」という本を読みました。

ピンクの三角をつけられながらも生き残った男性の記録です。

ところで、BENTでもこの本でもあまり描かれなかったのですが、収容所には同性愛者の男性だけでなく同性愛者の女性も収容され、凄惨な扱いをうけていたそうです。

女性は「妊娠させれば改心する」と考えられ、望まない妊娠を強いられた方も多いようです。同性愛者の女性が受けた被害の資料が残っていないのはそのせいとも言われており、決して男性よりいい扱いを受けていたわけではないとのことでした。 

 

 

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木村錦花の「研辰の討たれ」感想

先日「野田版研辰の討たれ」を観たので、原作の木村錦花の「研辰の討たれ」を読んでみました。

 

『日本戯曲全集』現代編 第7輯第39号に収録されています。

日本戯曲全集は近代デジタルライブラリにあると思っていたのですが、この巻はまだ公開されていないようです。

閲覧を希望される場合は、国立国会図書館または図書館送信参加館での手続きが必要。

 

読んでみて気が付いた点を箇条書きに。

 

・平井市郎右衛門は兄弟の父ではなく兄。たしかに父親が殺されたら残された子息は事後処理等やるべきことが山積みになってすぐ敵討ちに出立できないのかも?

・辰二の平井市郎右衛門への怨恨が深く、最初からだまし討ちをするつもりでいる。

・野田版辰二の印象は、弁が立つけど詰めが甘い、滑稽さに愛嬌があるキャラクターだと感じたが、原作では狡猾さが垣間見える。

 

・辰二と兄弟と対峙して命乞いをするシーン。

「ブルブル震へ出す。そして、酔払いか骨無のやうに身体をグニヤグニヤさせて、一向敵対する態度になつて来ない。」と書かれていて、ちょっと面白い。

・上記を「彼は、半ば意識してやつてゐるらしい。」とのことで、

 

・兄弟パートが少なめ。

・ラストの見物人がいなくなった所に戻ってきて辰二を斬るところ、わりと容赦なく辰二を斬っているような?「なんだかいやになってしまった」がとってつけたように感じられる。

・群衆がはやし立てるシーン、兄弟が仇討をあきらめたと見せかけた後の「向こうで別の仇討だ!」とかけていくシーンがないので、「群衆に殺される」というのは野田版独自のよう。

 

さらにこれの元ネタにあたる「敵討高砂松」、こちらはネットから読めます。

日本戯曲全集. 第四十九卷 渥美清太郎 編, 校訂 (春陽堂, 1933)

  http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1884042 22コマ~

シネマ歌舞伎「野田版 研辰の討たれ」感想

タイトルが「討たれ」だからやっぱり最後は討たれてしまうんですね…。

 

最初の5分から息もつかせぬ辰二の弁舌に圧倒されます。

時事ネタ、メタ的な笑いも取り入れられていたのが面白かったです。でもアドリブ一切なしとのことで、非常に驚きです。

ポスターになっているミュージカルのような写真は一体どんなシーンかと気になっていたのですが、だんまりでした。

 

前半では笑いを誘っていた辰二の町人根性が抜けない見苦しさ、滑稽さがラストの命乞いのシーンでは悲劇的な要素となります。

身の丈に合わない身分を手に入れ価値観の合わない集団に身を置くことになった辰二は、武士たちとのいざこざから殺される結果となってしまいます。

辰二の衣装が迷彩柄なのは、町人から武士になった辰二が武士階級に紛れ込もうとしていることを表しているのか、町人にも武士にもどちらにもなじめなくなってしまったことを表しているのか。

 

 

 

一度は英雄扱いした人間でも瑕を見つけたら即座に手のひらを反してバッシング、自分は責任を持たない位置から「殺せ」と野次を飛ばす群衆。

歌舞伎にしてはかなり多くの人数が群衆役として舞台上に立ち口々にはやし立てる姿は、真っ赤な紅葉と相まって不気味な印象も与えます。

野田秀樹の他の作品にも見られる「無責任な第三者」「集団の暴力性」、そしてそういったものに流されていく悲劇が描かれています。

 

 

「研辰の討たれ」のオリジナルは、大正14年に発表された木村錦花原作、平田兼三郎脚色の戯曲です。

文政十年(一八二七)に讃州丸亀の城下で実際にあった事件を二ヶ月後に二世金沢竜玉によって「敵討高砂松」という題名で芝居になっていたものがもとになっています。事件をきっかけに江戸時代には「研辰もの」が流行って、さまざまな作品が生まれたとのこと。

『日本戯曲全集』に「敵討高砂松」、「研辰の討たれ」は収録されているようなので、読み比べてみたいと思います・

 

 

あらすじ

研ぎ師からおべっかと金で武士の身分を手に入れた守山辰二は、武士の心得を知らず、朋輩達の反感を買い笑い者にされています。

目をかけてくれる奥方の前で市郎右衛門に手合わせを挑みんで散々にやられたことを恨み、町人仲間に依頼して作ったからくり人形で一泡吹かせようと画策する。

しかし、市郎右衛門はそのからくり人形驚いて突然死してしまう。不名誉な死に方を隠すために部下は「辰二に殺されたのだ、かたき討ちをしなさい」と息子九市郎と才次郎を焚き付ける。

逃げた辰二は各地を逃げ回るものの、旅籠で宿代を払えなくなってしまう。とっさに自分は敵討ちのため諸国をまわっているのだと嘘をつくと町人たちから英雄扱いされる。調子に乗っているところに市郎右衛門の息子二人が到着し、嘘が露見すると町人たちは掌を返して二人に辰二を殺せとはやし立てる…。

彩の国シェイクスピア・シリーズ第32弾「尺には尺を」感想

蜷川幸雄の遺作となってしまいましたね。

チケットを取った時は予想もしておらず、本当にショックです。

 

内容としては、演出の蜷川っぽさはあり、登場人物はみんな自分勝手でしかも行動に矛盾をはらんでいてとても面白かったです。

 

開演前は舞台上で役者さんたちが稽古をしている、よく見るパターン。舞台裏のようなセットの中で発声練習をしたり思い思いに動いていて、開演と同時に横一列に並び礼、セットが転換し舞台が完成します。

客席を出入りに使ったり、通路を使用したりと、見た目には分かりやすい「蜷川演出っぽい」演出が各所にありました。

ただやっぱりあっと驚く演出はなかったというか、なんだか物足りない気持というか。蜷川幸雄の不在を痛感しました。

 

裁判のところでのスローモーションの演出や砕けた口調のセリフもコミカルで、笑いが絶えませんでした。

 

イザベラ

多部未華子イザベラすごく良かったです。

まず声がとても魅力的。良く響いて聞き取りやすく、テンポも損なわれません。はきはきとした物言いが、弁が立ち合理的な(現金なとも言える)考え方ができる理知的な少女としての印象を強めます。

処女であることに価値があるとしても、代わりに兄の命を投げ出すのは当時の価値観としても不自然ではないものだったのでしょうか?

 

アンジェロ

権力を握った人間が色恋に狂うと自身を律せなくなってしまう…という分かりやすいパターンです。

カーテンを挟んでイザベラと言い争うシーンでは、二人の戦いの火ぶたが切って落とされたこと、カーテンが落とされることで彼の本性が露わになって行動を開始することをあらわしているのかなと思いました。

持参金不足だけを理由に婚約破棄ならまだしも淫らな女と噂を流すのはいただけないですよね。

 

 

ヴィンセンショー

自分の政治の不始末を部下に放り投げ、しかもまるで捨石扱い。さらにその人格を試すように仕向けます。クローディオは生きているのにイザベラには死んだと嘘をついたり自分の悪口を言っていたルーチオを極刑に処そうとするなど、喜劇でなければかなりの問題人物。

パネルで奥行があるように見える舞台から、豪華な衣装を身にまとったがヴィンセンショーが登場するシーンは格好いいですね。

 

 

マリアナ

自分を貶めて捨て、他の女に目移りした男と騙して結婚して、将来は安泰なのでしょうか…?

マリアナは黒い衣装で、イザベラの白い衣装とは対照的。

 

侯爵がイザベラに求婚したところで原作は終わり、その後の展開は読者にゆだねるような形になりますが、

今回の上演では最後にイザベラが普通の娘らしい服に着替え髪も下ろした格好で登場し、鳩を空に放つところで終わります。

これは前半での演出と対照的なので、イザベラが侯爵の求婚を受け入れて修道女になるのを止めたことをあらわすように見えたのですが、飛び立った鳩をイザベラに重ねて侯爵の求婚を受けずに自由に生きることを選択した、というふうに解釈もできます。

 

 

 

 

シネマ歌舞伎「歌舞伎NEXT 阿弖流為」感想

基本は現代劇でところどころ歌舞伎を取り入れているような印象でした。

ストーリーの疾走感、舞台転換の速さ、殺陣の激しさ、衣装の美しさ。新感線と歌舞伎だからできることだと思います。

ツッコミやギャグ、ドラムと三味線の激しい音楽と照明が印象的です。

附けを打ちすぎという感想もちらほら見ましたが、このくらいやらないと全体の派手な演出とバランスが取れないですよね。

シネマ歌舞伎のなかで史上最多の19台のカメラで撮影したとのことですが、編集でスローモーションを多用しているのは若干見づらかったような…。

 

新感線「アテルイ」未見、ネタバレも見ずに鑑賞したので、はじめは立烏帽子が阿弖流為側についていることに驚きましたがラストに近づくにつれてなるほどー!と思いました。

 

阿弖流為

神殺しの人間→祟り神。荒覇吐神に愛され憎まれ、最期は蝦夷のための人柱となります。

長の息子でありながらなぜ里を捨てて鈴鹿との駆け落ちを選んだのか経緯がえがかれないので、最初はちょっと理解しづらい主人公です。立烏帽子への愛情や信頼関係が描かれたり自分が蝦夷を率いて戦う限り戦は終わらないのではないかと悩むシーンは等身大の人間らしく感じられます。

お互い最良の理解者になれたであろう阿弖流為と田村麻呂が結局敵対するものの、それを二人とも「なるべくしてなった」「武人の血が騒ぐ」と前向きなのが、少年漫画っぽさがあってまた切ないです。

 

坂上田村麻呂

無謀で純粋な坊ちゃんかと思っていましたが、蝦夷討伐に際しては「敵を休ませるな」と冷静な命令を下していて、やっぱり宮廷にいる以上そういった判断もできるようになっているのだろうなぁと思いました。

阿弖流為より大人な面もある人物かもしれません。

「人は義に生きる。でもそれが戦になると大義になる。大という字がつくだけでどうも胡散臭くなる。」という言葉が重たいですね。

 

飛連通と翔連通、名前の元ネタは鈴鹿御前(立烏帽子)が田村麻呂に贈ったとされる刀の大通連と小通連でしょうか。

 

立烏帽子/鈴鹿

→立烏帽子の正体が判明した後に思い返すと、たしかに立烏帽子と鈴鹿は全然雰囲気が違っていて、二幕最初の回想で阿弖流為から助けられるシーンでやたら弱弱しい印象だったのはそういうことだったんですね。

立烏帽子が剣を持って戦うこと、声の出し方が中性的に感じられたのにも納得でした。衣装の揺れや所作が相まって殺陣が非常に美しかったです。

正体を明かすシーンでは徐々にその場を制する圧倒的な存在感がにじみ出て、立烏帽子→荒覇吐神の変化がすごかったです。

可憐な手弱女の鈴鹿、剣と超能力で阿弖流為を助ける立烏帽子、荒ぶる神の荒覇吐神、とそれぞれの演じ分けが完ぺきでした。

荒覇吐神が立烏帽子として阿弖流為との再会のシーンから鈴鹿の演技をしていたのかと思うと、かなり人間臭い感情を理解できる神なのかな。斬られた阿弖流為を助けるため赤い玉にささやいた「阿弖流為」と呼んだ声音も演技だったのでしょうか。

人間の感情を理解できる神だからこそ、最期の阿弖流為の「俺だけはいつもあなたを思う」「やがて、我が魂は貴方の元へ行く」が救いになって、阿弖流為にただの祟り神以上の力を与えたのではないかと思いました。

 

藤原稀継・御霊御前

稀継は温厚な政治家から後半の悪役へ変化が歌舞伎的で(都に戻ってからは隈取が変わってるような?)

真っ赤なネイルで白髪の巫女・御霊御前。

稀継とは違って見た目の変化はないようでしたが、不在の帝を盾に政局を操る不気味さ、ポスターの写真がかっこよすぎてしびれる。

二人が主張するの「日本を一つに」とか「外つ国の攻撃から日本を守るために、日本が一枚岩にならねばならない」という発言は、日本の現状を踏まえてのものなのでしょうか。

 

 

 

 

作 中島かずき

演出 いのうえひでのり

阿弖流為市川染五郎

坂上田村麻呂利仁:中村勘九郎

立烏帽子/鈴鹿中村七之助

阿毛斗:坂東新悟

飛連通:大谷廣太郎

翔連通:中村鶴松

佐渡馬黒縄:市村橘太郎

無碍随鏡:澤村宗之助

蛮甲:片岡亀蔵

御霊御前:市村萬次郎

藤原稀継:坂東彌十郎