舞台「毛皮のマリー」 感想

毛皮のマリー福岡市民会館 大ホール (福岡県) 2016/5/17(火)

 

 

www.parco-play.com

 

 

「鏡よ、鏡よ、鏡さん。この世で一番の美人はだれかしら?」

入浴しているのは名誉ある男色御当家家元三代「毛皮のマリー」。そして、そばに立つのは、映画至上最大の怪物、エリッヒ・シュトロハイムを彷彿とさせる下男である。

 

時は、大正五十七年。「毛皮のマリー」の屋敷に、ひとりの少年がいた。半ズボン姿の美少年・欣也。歳は十八歳。日本一ゴージャスな男娼のマリーに、わが子以上に過保護に可愛がられ、外の世界を知らず育てられた。

 

彼は今日も「大草原」と呼ばれる応接間で、蝶を追っていた。

その前に、誘惑を企てる美少女が現れ、欣也を見たこともない未知の世界へと誘うのだが・・・

 

“はかなくも妖しく哀しい物語”が頽廃美あふれるゴージャスにして魅惑的な世界として描かれる。

 

 

 

 

 

美輪明宏のために寺山修司か書き上げた『毛皮のマリー』が、美輪明宏の演出・美術・主演で、7年ぶりに上演されます。

私は寺山修司の詩が好きなので、いつか「毛皮のマリー」を観てみたいと思い、観劇の感動を味わいたくて原作も未読のままでした。

メディアの紹介分や個人の感想ではエログロナンセンス、異常な親子愛というキーワードが散見されますが、

個人的にはそこまでウワッと引くようなエログロさは感じませんでした。

 

 

 

舞台中央にはマーブル模様のバスタブ、ほかには木調の長椅子や背の低い机。

吊り下げられたたくさんの蝶や薄暗くも淡い色調で浮世離れした雰囲気があります。

バックは大量の細長くてやわらかそうな布がつるされており、布の隙間から入退場があります。

 

 

 

毛皮のマリーが泡風呂に浸かりながら下男に剃刀で全身の毛を剃らせています。

最初のこのシーンから三輪さんの胸があらわになっており、軽く衝撃を受けました。

主役である三輪さんですが、お年のせいか滑舌があまり良くなく…声の深さはとても好きなのですが、まくしたてるようなセリフになると台詞が聞き取りづらいです。

 

18歳になる欣也が応接間の草原で捕まえた蝶々を見せに飛び込んでくる。

「マリーさん」と呼ぶ欣也をマリーは「お母さんとお呼び!」と叱りつけます。

下男に欣也を部屋から出さないよう言いつけるマリーの欣也への行き過ぎた愛情、また外の世界を知らない欣也が見せる残酷さで、この二人の異常な関係性・生活が描かれます。

 

下男達が浴槽をひっくり返すと中から男(の死体)が転がり出してきた時はおどろきました。

 

 

マリーの外出中、上の階に住む美少女・紋白が欣也の元へと忍び込んでくる。

フリフリの洋服に厚底のブーツと美脚。役者さんは男性ですが。ひときわ目立つのが、服の上からつけられている偽物の乳房。

この作品で彼女だけが女性だからでしょうか。それとも欣也を誘惑する「女」としての象徴でしょうか。

登場時にはモーニング娘の「LOVEマシーン」が流れていたのも、この幻想的な部屋での異質さを表現しているように感じました。

 

紋白は欣也へ外の世界の素晴らしさを説きますが、マリーの怒りを恐れる欣也は拒絶、結局戻ってきたマリーの怒鳴り声により紋白は追い出されるように退場します。

 

 

幕間狂言、下男の毛皮のマリーごっこ。

自身は「醜女のマリー」と呼ばれていることを嘆きながら(その途中で赤いフラメンコの衣装を身にまとい、女もののカツラをかぶり、口紅を塗っていく)様々な美女に変身をする妄想を繰り広げていると説明。

自分ではない者の姿になることは、一度死んで再度生まれ変わるようなもの…といった語りや、

「うまいこと自分自身に化けたもんだな。これはあたしにそっくりだ。しかも、誰にも見せたことのない本物のあたしにそっくり」というセリフがとても印象的です。

しかし、マリーが下男を呼ぶ声で我に返った醜女のマリーは、下男へと戻っていきます。

 

この場面が「ものすごい」と噂に聞いてはいましたが、「トッカータとフーガニ短調」に合わせてハードゲイな格好をしたマッチョ達が登場、Tバックのみを身につけた男性陣のラインダンス…。

 

 

 

マリーは自室に名もない水夫を連れてきています。

 

水夫の「あんたは、どうして女に変装したりするんだね?」という問いに、

マリーは「男であることにあきたらず、警察官を演じたり、船乗りを演じたりする人がいっぱいいるのに、おかしいじゃありませんか、女を演じるのだけを好奇の目で見るなんて」と答える。

幕間狂言の「自分に化ける」というセリフはここにつながっているのでしょうか。

 

そして、自分と欣也の身の上を話し始めます。

欣也とは血のつながりはなく、かつて自分に恥をかかせた女を雇った男に強姦させ、その結果生まれた子供が欣也だと言う。

 

その話を聞いていた欣也は錯乱し部屋の中を荒らしまわる。

そこにふたたび現れた紋白は欣也にここから逃げ出そうと誘惑しますが、欣也に絞殺される。

欣也はよろめきながら部屋の外へ出ていきます。

 

欣也が紋白を殺すとは思いませんでした。

外の世界へ誘う紋白によって、舞台の背景を覆っていた布が剥がされ、ガラクタに囲まれた雑然とした部屋が姿を現します。

 

欣也の逃亡を知るまでのマリーは、自分の美貌を理解している自信に満ち溢れた人物のように描かれていますが

逃げた欣也を探し、傷ついて帰ってきた欣也には「一体どうしたらいいの?」と途方にくれ、まるでふつうの母親のように取り乱します。

 

欣也が逃げようとするシーンで背景が原爆のキノコ雲に変化しますが、

やはり原爆は三輪さんの中で特別なモチーフなのでしょうか。

「原爆」「母と子の愛情」といったキーワードが出てくるインタビューが下記リンク。

毛皮のマリー関係なく、考えさせられる記事です。

 

朝日新聞の紙面から - 広島・長崎の記憶〜被爆者からのメッセージ - 朝日新聞社

 

 

最終的にマリーは欣也を女装させます。

自分と同じ生き方を強要する形になります。

母が子を自分の所有物として扱ったり、一個の人間であることを認めず自己と同一視してかつての自分の夢をかなえさせようとするケースは現代でも耳にすることが多いです。

いわゆる「毒親」の行動のように思えますが、

ラストでは欣也が自分から進んで母・マリーに寄り添っているかのような印象を受けました。

 

「かくれんぼ」のシーン、鬼になったマリーの「もういいかい」の呼びかけには「まぁだだよ」という返事が繰り返されるばかりで、鬼を残して帰るのだろうと予想できます。

すると欣也も顔を手で覆い、マリーに寄り添ってしゃがみこみます。

欣也自身が母親を必要としていたのか、母親の姿があまりにも痛々しく見ていられなかったからなのかは分かりませんが、

二人が並んでしゃがみこむ姿からは、欣也がマリーを受け入れてその痛みを共有し、二人でひとりとして生きていく未来を想像しました。

 

 

一度幕が下りたあと、マリーと欣也は神々しさを感じさせる白い衣装で登場します。衣装は聖母子像のイメージでしょうか。

客席へお辞儀をした後、マリーと欣也は二人で舞台の奥へと旅立っていきます…。

 

 

 

終演後、「よくわからないけど、とにかくすごかった」という感想がちらほら聞こえてきました。

私ももっとゆっくり考えたいことが多く、

特に最後に登場する、謎の白い仮面の家族はなんだったんだろうという感想でした。

 

個人的には寺山修司らしい美しい言い回しや世界観が堪能できて満足です。

角川文庫の「戯曲 毛皮のマリー」を購入したので、読み終わったらまたじっくり考えたいです。

 

 

 

 

 

 

毛皮のマリー 美輪明宏

美少年・欣也 勧修寺保都

名もない水夫 木村彰吾

美少女・紋白 若松武史

下男・醜女のマリー 梅垣義明

鶏姦詩人 江上真悟

鶏姦詩人 大野俊亮

下男2プリティ太田

 

小林永幸 真京孝行 大曽根徹 田中稔 高田賢一 小谷真一

澤田誠 荻原謙太郎 吉田大樹 長田拓郎 見雪太亮 月岡弘一

松田拓磨 加藤真悟 山田健太 掛川太地 小早川俊輔 會田海心

鈴木翔吾 小池亮介 長田翔恩

 

作:寺山修司 演出・美術:美輪明宏

演出補:岸田良二/美術補:松野 潤/

照明:戸谷光宏/衣装デザイン:ワダエミ

音響:高橋 巖/音響補:鹿野英之/

衣装コーディネイト:四方修平

演出助手:山下 悟/舞台監督:佐川明紀

東京公演後援:TBSラジオ/協力:テラヤマ・ワールド

制作協力:㈱オフィスミワ/企画製作:株式会社パル