シネマ歌舞伎「歌舞伎NEXT 阿弖流為」感想

基本は現代劇でところどころ歌舞伎を取り入れているような印象でした。

ストーリーの疾走感、舞台転換の速さ、殺陣の激しさ、衣装の美しさ。新感線と歌舞伎だからできることだと思います。

ツッコミやギャグ、ドラムと三味線の激しい音楽と照明が印象的です。

附けを打ちすぎという感想もちらほら見ましたが、このくらいやらないと全体の派手な演出とバランスが取れないですよね。

シネマ歌舞伎のなかで史上最多の19台のカメラで撮影したとのことですが、編集でスローモーションを多用しているのは若干見づらかったような…。

 

新感線「アテルイ」未見、ネタバレも見ずに鑑賞したので、はじめは立烏帽子が阿弖流為側についていることに驚きましたがラストに近づくにつれてなるほどー!と思いました。

 

阿弖流為

神殺しの人間→祟り神。荒覇吐神に愛され憎まれ、最期は蝦夷のための人柱となります。

長の息子でありながらなぜ里を捨てて鈴鹿との駆け落ちを選んだのか経緯がえがかれないので、最初はちょっと理解しづらい主人公です。立烏帽子への愛情や信頼関係が描かれたり自分が蝦夷を率いて戦う限り戦は終わらないのではないかと悩むシーンは等身大の人間らしく感じられます。

お互い最良の理解者になれたであろう阿弖流為と田村麻呂が結局敵対するものの、それを二人とも「なるべくしてなった」「武人の血が騒ぐ」と前向きなのが、少年漫画っぽさがあってまた切ないです。

 

坂上田村麻呂

無謀で純粋な坊ちゃんかと思っていましたが、蝦夷討伐に際しては「敵を休ませるな」と冷静な命令を下していて、やっぱり宮廷にいる以上そういった判断もできるようになっているのだろうなぁと思いました。

阿弖流為より大人な面もある人物かもしれません。

「人は義に生きる。でもそれが戦になると大義になる。大という字がつくだけでどうも胡散臭くなる。」という言葉が重たいですね。

 

飛連通と翔連通、名前の元ネタは鈴鹿御前(立烏帽子)が田村麻呂に贈ったとされる刀の大通連と小通連でしょうか。

 

立烏帽子/鈴鹿

→立烏帽子の正体が判明した後に思い返すと、たしかに立烏帽子と鈴鹿は全然雰囲気が違っていて、二幕最初の回想で阿弖流為から助けられるシーンでやたら弱弱しい印象だったのはそういうことだったんですね。

立烏帽子が剣を持って戦うこと、声の出し方が中性的に感じられたのにも納得でした。衣装の揺れや所作が相まって殺陣が非常に美しかったです。

正体を明かすシーンでは徐々にその場を制する圧倒的な存在感がにじみ出て、立烏帽子→荒覇吐神の変化がすごかったです。

可憐な手弱女の鈴鹿、剣と超能力で阿弖流為を助ける立烏帽子、荒ぶる神の荒覇吐神、とそれぞれの演じ分けが完ぺきでした。

荒覇吐神が立烏帽子として阿弖流為との再会のシーンから鈴鹿の演技をしていたのかと思うと、かなり人間臭い感情を理解できる神なのかな。斬られた阿弖流為を助けるため赤い玉にささやいた「阿弖流為」と呼んだ声音も演技だったのでしょうか。

人間の感情を理解できる神だからこそ、最期の阿弖流為の「俺だけはいつもあなたを思う」「やがて、我が魂は貴方の元へ行く」が救いになって、阿弖流為にただの祟り神以上の力を与えたのではないかと思いました。

 

藤原稀継・御霊御前

稀継は温厚な政治家から後半の悪役へ変化が歌舞伎的で(都に戻ってからは隈取が変わってるような?)

真っ赤なネイルで白髪の巫女・御霊御前。

稀継とは違って見た目の変化はないようでしたが、不在の帝を盾に政局を操る不気味さ、ポスターの写真がかっこよすぎてしびれる。

二人が主張するの「日本を一つに」とか「外つ国の攻撃から日本を守るために、日本が一枚岩にならねばならない」という発言は、日本の現状を踏まえてのものなのでしょうか。

 

 

 

 

作 中島かずき

演出 いのうえひでのり

阿弖流為市川染五郎

坂上田村麻呂利仁:中村勘九郎

立烏帽子/鈴鹿中村七之助

阿毛斗:坂東新悟

飛連通:大谷廣太郎

翔連通:中村鶴松

佐渡馬黒縄:市村橘太郎

無碍随鏡:澤村宗之助

蛮甲:片岡亀蔵

御霊御前:市村萬次郎

藤原稀継:坂東彌十郎